自己肯定感

自己肯定感ー自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。自己否定の感情と対をなす感情とされる。-Weblio辞書-

先日のブログで紹介したお客様から。

こんなLINEを頂きました。

自分は苦しいんだ・・・ということになんとなーくでも気が付いて頂けたようでよかったです。

頂いたLINEの中にもある「自己肯定感」

一種の流行りとまでは言いませんが「自分を愛せないと人は愛せない」とか「あなたが自分を好きでなければ他人に愛されるわけがない」「自己肯定感を高めよう!」とか。

SNSでも、自己肯定感があると幸せになれまっせ(笑)的なことを文字や動画で訴えている投稿が数多くUPされています。

そもそも。なぜ?自己肯定感が低いということが問題になるのか?自己肯定感が低いと苦しくなるのか?

自己肯定感の低さは、自己完結できる問題ではないという現実が置き去りにされいます。

「肯定」の反対語は「否定」

自己肯定感が低いということは「誰かに否定された」という記憶がない限り、起こらない感情なのです。

「誰か」の存在が記憶にある限り、それは自己完結では解決できないわけです。

なのに、自己肯定感が低い自分を何とか認められるようにならなくちゃ。

そして、頂いたLINEにもあるように「自己肯定感を高める子育て」をしなくちゃ。

と、自分を否定した誰かの存在を知ることなく、なぜ自己肯定感が高まらないんだろう?なんで、いつもこんなに頑張ってしまうんだろう?

なんで、いつも何かに責められている気がするんだろう?

それは、自分自身の自己肯定感が低いからだと、天井のない頑張りをいつもいつも強いられてしまえば、グルグル回り続けて、いつもしんどく苦しくなってしまうのは当然のことだと思います。

アーユルヴェーダの中では、この類のことを有害な記憶に支配されていると表現されています。

有害な記憶の根源は「インナーペアレンツ(内なる親)」

インナーチャイルドという言葉を聞いたことがある人も多いと思います。これは自分のなかに存在する内なる子ども。

インナーペアレンツもそのまんま。

自分の中にいる(棲みついている)親。

乳児期から幼少期にかけて、親のもっともっとに応えようと一生懸命頑張ってきた天井のない頑張り。

自分が頑張っている姿を見せることで親が喜んでくれるという喜び。

親の期待に応えた時の自分を受け入れてくれる安心感。

何をやっても、頑張っても認めてもらえないという喪失感。

こんな、感情が記憶を支配しているのに。

自己肯定感なんて自分で生み出せるわけないんです。

いまでこそ、随分よくなったという自覚がありますが、私自身自己肯定感なんてかけらもなかった(笑)

母親が、買い物した荷物を重そうに持っているからと誕生日にショッピングカートをプレゼントしたら「もっと働けってこと?」

妹と吹雪の中、ロングブーツを買いにいってプレゼントしたら「足が太くて入らない」(笑)

こんな日常で自己肯定感育ったら奇跡(笑)

ここ数年で、私が自己肯定感を持てるようになったのは、記憶より現実を優先したから。

現実だけをみた時に「結構頑張れてるよ?」と自分で自分を認められたから。

もちろん、頑張れてない部分もありますよー。ギリギリになんないとやらない自分とか(笑)でもまずは。できてる自分を自分自身が発見してあげること。

誰かに認めてもらわなくても、まずは自分自身が現実を見てできてること。

これから、できるようになりたいことをちゃんと分けてみること。

できてないと思うなら、やればいいだけ。

親との関係で構築された記憶に支配される必要なんてないんです。

現実を見て、あっ私頑張れてない・・・と思ったら低いハードルからできることを増やしてみて下さい。

坂道を駆け上がるのではなく、階段を一段一段上ってくださいね!

ではー

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