記憶

桜、東京で開花しましたね・・・って思ったら。

一気に咲き乱れておりました。

いつもよりなんとなく遅いよねーと感じた人も多いと思うけど、もともと桜の時期って入学式くらいだったことを思い出した。

3月に東京や仙台の桜が開花するようになったのっていつ頃からなんだろう?

事が変化した時って、違和感を覚えるけど。

その違和感がずーっと続くとそれが当たり前の感覚になっていくんですよね。

良くも悪くも。

さて。今日のお題は「記憶」

記憶は、大脳辺縁系に位置する海馬と扁桃体、帯状回に影響を受けて脳内にストックされていく。

もちろん、日常のこと全てを記憶できるほど、脳のスペックは高くない。

55歳生きてきての記憶って膨大。481,800時間もあるわけだから、全部覚えてたら耳から漏れる(笑)

となると・・・

脳に残される記憶は、自動操縦のように残す記憶と捨てる記憶を取捨選択されていることになる。

では、どんな記憶が脳にストックされていくのか?

それは、感情が強く動いたことほど脳にストックされる。

例えば、初めてSEXしたときのことを忘れる人ってほとんどいないと思うけど。

初めて選挙にいって誰に投票したかって覚えてる?

子どものころ、お母さんに怒られて捨てられるかも・・・っていう記憶は残っていても。

お母さんが、洗濯をしてる姿は記憶にない。

こんな、感じで人はすべてを記憶するわけではなく。

感情というファクターを介して、記憶が脳に蓄積されていく。

そして、この残った記憶を通して、全てを見るようになるから。

人それぞれ、見えてる世界が違うんです。

○○すると親から嫌われる。

もっと親に注目して欲しい。

もっと親に認めて欲しい。

もっと親にスキンシップして欲しい。

もっと親にとって価値ある自分にならないと・・・

この、もっと○○というフィルターが入っていると、現実が見えずに思い込みと、空想で全ての物を見るようになります。

ここで苦しんでる人、めっちゃ多い。

抜け出す方法としては、空想妄想と現実をしっかり分けること。

現実の範囲って、かなり狭い。

「今」

見て、触れて、嗅げて、味わえて、聴こえることだけが現実。

それ以外は、全て妄想空想。

今、自分が見えてる範囲って狭くないですか?

見えてないのに、表参道駅の入り口はアップルストアの前にあるって原宿駅で言ってるみたいなもんです←わかりずらっ(笑)

自分はリビングにいるのに、寝室で夫は寝ていると見てもいないのに思ったり。

自分は職場にいるのに朝、子どもが家から出て学校にいると思うのも。

全部、妄想と想像。

子どもの頃、大きく動いた感情(怒り、不安、寂しさ、孤独感、比べられる、否定、悲しみなど)が、フィルターになって、全てを見ていると、現実より。

思い込みや妄想想像で、感情が揺さぶられる。

まずは、現実の定義。

見て、触れて、嗅げて、味わえて、聴こえるこれを基準に物事をみる癖をつけて、記憶に振り回されている自分に気付いてくださいね。

今日の東京は最高気温28.1℃で3月としては観測史上最高を記録したとか。

夜の桜はすでにこんな感じ

1日で開きすぎ(笑)

寒さと暑さが極端な3月が終わり、明日から4月。

新生活、新天地での生活が始まる方も多いかと。

気候も、世の中も、穏やかな4月であることを願っています。

では!

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人間は動物であり、哺乳類である

昨日だったか、一昨日だったか。

自宅で、パソコンや本とにらめっこしていて、ふと窓辺を見ると。

とても温かな日差しが窓から入ってきていて、なんとなくぼーっと日向ぼっこしながら日差しに癒されました。

真夏は、こんな気分にならないのに、秋や春の日差しには、なんとなくほっとさせられます。

自分をほっとさせる瞬間は、特別な場所や時ではなく。時間に追われる自分を少し休ませてあげた時に、日常から得られるものなのかも知れませんね。

さて。

今日のお題。

「人間は、動物であり哺乳類である。」

私が、原点としていつも軸においていることです。

私が事業として行っていることは、美や健康を様々なツールを使いご提供することであり、なぜ、美や健康をご提供しているかというと。

老若男女を問わず。幸せな人生を感じて欲しいから。

幸せの定義は人によって異なりますが、美と健康を得て(特に健康ね)残念な気持ちになることは、割合的に少ないと思います。

しかし。この美と健康。

情報が氾濫しすぎて、行き先を見失ったり、振り回されたり、新しいものに飛びついたり。

経営をしている人でさえも、新しい理論や手技手法、流行りの物に飛びつき振り回されている人達もたくさんいますし、そういう人たちもたくさん見てきました。

医療と美容の世界は「日進月歩」

なぜ、日進月歩が続くかというと。

人間という生き物について、分かっていないことが多いから。

だと思います。

例えば、アルツハイマーの原因について今まで数多くの原因が取りだたされていますが、現在はアミロイドβが脳に蓄積するからという理論で落ち着いているように感じます。

そのため、アミロイドβがなぜ、蓄積するのか?ということにフォーカスされ、アミロイドβを蓄積させないための生活習慣や食生活が推奨されています。

これもまた。

数年後には、アミロイドβ関係なかったねー(笑)なんてことにもなり兼ねない。

そのくらい、人間について(というか生物について)は未知数な部分が多いのです。

その中でも、私が考え方の軸としていつもぶれずにおいているのが、今日のお題。

「人間は、動物であり哺乳類である」ということ。

人間が、動物である限り取り入れなければならないこと、やめなければならないこと。

人間が、哺乳類であるという特性から心理に影響が及ぼされる親子関係の在り方(特に母親との関係)卵として産み落とされる生き物とは、そもそもの構造が違います。

これが、私がこの仕事をしていく上での考え方の軸です。

この軸に沿って、人間という生き物を考えた時に、私がバイブルとしているのがアーユルヴェーダ(インド伝承医学)です。

もちろん、酵素栄養学やDNA、腸内環境といろんなものをツールとして持っていますが、これらを使うときの土台となっているのが、アーユルヴェーダ。

この軸が、ぶれることはありません。

ただ、現代においてアーユルヴェーダの教えをを完璧に実践する必要なんてないと思っていますし、そもそもインドの学問だよね?という向きの見方もしています。

日本人が、毎日スパイスまみれの食事してたら、胃腸やられちゃいます(笑)

いつも、言ったり書いたりしていますが何事もバランスが大事。

このバランスについては、30年以上人の身体に触ってきた経験が役にたっています。

いわゆる、感ってやつ。

この感、結構な確率で当たるけど、もっと可視化するために、量子医学を駆使した機器を本格的に使い始めます。

2年前から、持ってたけどやっと、使える自信がついてきた(笑)

お披露目まで、もう少しお待ちくださいね。

新しいことが、目白押しのように見えるかもですが、実は根っこは1つです。

木の根っこから、幹や枝、葉ができるイメージ

実は、アーユルヴェーダは量子医学理論。やることなすこといつも1つに集約されていくから、もう観念しています(笑)

そんなわけで。

また、いろんなことが決まり次第、お伝えしていきますね!

今日、東京駅に着いたら人が多くてびっくり。明日、お休み取っている方は4連休なんですね。知らなかった(笑)

4連休の方も、そうでない方も。

楽しい週末をお過ごしくださいねー

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親孝行は自分のためにする

今日の東京は「花冷え」という言葉がぴったりの気温。

さむい・・・

さて、今日のお題「親孝行は自分のためにする」

お題の通りですが、私自身「親孝行」以前に、どんなことをしても「ありがとう」と素直に感謝を表現しない母親に育てられました。過去形にしてるけど、今現在も「人に感謝する」ということが、欠落している傾向があると思います。

しかし、どんな記憶からそうなっているのかは定かではありませんが、子どもの頃から私は母に対して「かわいそうな人」という思い込みがあり、今まで「世間から見れば」親孝行という内容のことは一通りしてきたと思います。

仙台に母を呼んでからは、給料を毎月支払いもちろん家賃、光熱費はタダ、化粧品にサプリは使い放題・・・

この、どれに対しても感謝ではなく「当たり前」を貫き通してきた母に対し、もうやりつくした感があり、母がかわいそうな人という思い込みはすっかり外れました。

最近、私が思うのは。

親孝行は親のためにするのではなく。親が逝くときに自分自身が後悔しないためにするものなのだということ。

親孝行の目的を「親のため」ではなく「自分が納得するため」と定義を変えてみる。

この定義ならば、対象となる親が自分が提供したことに対して、どんな反応をしても自分自身が納得するためにしていると思えるから、傷ついたり、ムカついたりしたとしても(するんかい笑)心の奥深くに傷となって残ることは少ないような気がします。

ここ数年。母への親孝行には1ミリの後悔も、思い残すこともありません。

できる限りのことを、夫と2人でしてきたという自負と満足感もあります。

自分が納得するための親孝行は終了しました。

幼いころの記憶から、親に対して良い感情を持てない人もたくさんいると思います。

その、親に対していい感情を持てない自分を責めている人達にもたくさんお会いしてきましたし、これからも出会いがあると思います。

親が、この世に存在するうちに。

親のためではなく。

自分が思う、自分が納得できる親孝行をしておくことは自分の人生に後悔を作らないための1つの方法だと思います。

すでに、親がこの世に存在していなく、あなたが何かを後悔しているようなら。

あなたがこの世に生を受けたこと、この世に存在していることが既に。

親孝行になっていることを知って欲しいと思います。

これから、ちょいちょいこんなことも書いていこうかと。

親と子の関係と記憶。

また、書いていきますね。

では!

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