死生観で思うこと

 

 

 

 

今日の朝の始まりはいつもと同じ
日常が訪れ、いつものように出勤し
いつもと同じ、仕事の準備をし・・・

何も変わらない日常。

ただ、1つ。

いつもと違った出来事は
何よりも普段、自分が何よりも重きをおいている
「仕事」よりも優先すべき。
と、判断して主人の故郷、茨城へ向かったこと。

状況も、驚くほど私を後押しするように
茨城へ向かう環境を整えてくれた。

私は「死生観」について多くの人とちょっと違う感覚を
持っている事を自覚している。

そもそも「死」はタブーで「生きること」が賞賛に値するのか?

もちろん、自分から選択する「死」はあってはならない。
これは、与えられた課題を途中で放棄すること。

生老病死は自然の流れの必然だということは誰でも
「理論」では理解しているが「感情」では理解できていない事が
多い。

もちろん「感情」が納得できるまでは時間がかかって良いし
人によって長い、短いがあって当然。

 

 

 

一つの指針は「健康な人が身体や魂をズタズタにしないこと」

ズタズタにしないためには普段から自分なりの
自分が納得できる腑に落とせる「死生観」を身につけておくことが大切だと
思っています。

長寿を全うしての「死」は大いに賞賛に値し、「お疲れ様でした」と
見送る事が生きている者の責務である。

「生きたい」「まだやり残したことがある」と魂が語りかけるうちは
人は絶対にこの世から去ることはない。

その、魂が語りかける力を信じて今日は、仙台に
帰ってきました。

この世に「生」を受けた時に「死」は約束されています。

「死」をタブーにしないで「生きること」「死ぬこと」を大切な人と
少しずつ話してみませんか?

悲壮感漂わせず(笑)明るくね。

 

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